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生物誌の世界 ~ 生物史を学ぶ意義を再確認

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中村桂子 [1]さんという生物学の研究に取り組んでいる女性がいます。
彼女はゲノムやDNAの研究をしていくなかで、現代の科学が、分析・還元・論理・客観を旗印にしているためにそこで行われた生命現象の解明が生き物や人間とはなにか?という問いに繋がっていないことに危惧を感じていきます。
そこで基本を科学に置きながら、生物の構造や機能を知るだけでなく、生き物全ての歴史と関係を知り、生命の歴史物語を読み取る作業=「生命誌」を提案されています。
生命誌から生き物や人についてどんなことがわかるのか、それが、自然・人間・人工の関係づくりにどうつながるのか、そこからどんな社会をつくるのか。そんな追求を「生命誌」を通じて行っています。


さてその彼女が執筆した「生物誌の世界」(NHK出版)には、「生き物の基本戦略」として7つの戦略が示されています。これは生物史を学んだり理解していく上で、ポイントになりそうな視点です。
(7つの視点は「生物誌の世界」より引用。補足説明は、るいネットや当ブログの認識を利用)
◆多様だが共通、共通だが多様
これは進化系統樹をイメージすると分かります。原生生物以降生物の進化はタコイカなどの軟体動物~昆虫などの節足動物に至る系統と、魚類~両生類-爬虫類~鳥類、両生類-哺乳類と多様な方向に進化していきますが、体細胞の分化方法や、生殖方法はほとんどみなが共通で持っています。
またまったく異なる系統にある生物が同じような環境に適応するために同じような機能を獲得することがあります。
たとえば、モグラの前足は分厚く、爪が強く、指その物は短くなっており、明らかに穴を掘るために役立つ形である。ところが、同じく穴を掘って暮らしている昆虫のケラの前足を見ると、やはり丸っこくて、周りに爪状の突起があって、動かし方も良く似ている。これらは、いずれも穴を掘るための器官としての適応の結果であると考えられる。この様な現象の事は収斂進化 [2]と呼ばれています。
また一歩進めて考えてみれば、人間と姿かたちもまったく異なる生物の営みや進化から共通の摂理を学ぼうとする生物史そのものが、多様な中の共通性を見出し、これからどのように適応していくかを考える学問そのものだともいえます。
◆安定だが変化し、変化するが安定
これの代表が有性生殖です。異なる遺伝情報を持つ配偶子同士が合体することで新たな個体を発生させる生殖様式で、プログラムとして変化(変異)を進化の過程に組み込みました。
安定すること(適応すること)とは、常に相反するこの2つを同時に実現していくことであり、硬直してる状態とはまったく違うことが生物史から学びとれます。
◆巧妙精密だが遊びがある
例えば真核細胞以降の細胞分裂では、DNAの分裂については中心体を使って巧妙精密に分裂させますが、その他ミトコンドリアやゴルジ体といった細胞小器官の分裂は非常に大ざぱで、分裂後それぞれがもっている個数にもばらつきがあります。それだけDNAが持っている情報が重要であることの証ですが、このことは私たちの仕事のやりかたのヒントにもなります。
つまり初期の段取りやプロジェクトの組み立ては巧妙精密に行う必要がある一方、実践段階においてはそれなりの遊び(おおざっぱさや変化)を組み込んでいっても成立するように運用されるということです。
◆偶然が必然となり、必然の中に偶然がある
これは木から落ちたかたわのサル=人類そのものです。木に登れなくなるという先祖帰りに必然性はまったく見当たりませんが、人類が登場していく生物史の中にはこの偶然が大きく関わっているのです。
◆合理的だがムダがある
さきほど上げた有性生殖や精子・卵子の分化は、適応するという意味では合理的ですが、膨大なエネルギーをかけ過半数が淘汰される細胞数を考えればかなりのムダともいえます。
詳しくは、男(オス)と女(メス)があるのはなんでだろう?① [3]を読んでみてください。
もちろんこのムダという判断も現代的な価値観が反映されたものだと思います。実際精子も卵子も淘汰されていく細胞群も卵子にたどりつく道を作ったり、卵子の栄養になったりと立派な役割があるのです。
◆精巧なプランが積み上げ方式でつくられる
ポイントはこの「積み上げ方式」というところです。
例えば多細胞生物の統合を司る神経系細胞の細胞間情報伝達の仕組みは、細胞膜がもつ膜電位 [4]のしくみを専門特化させ作り出しているし、エンドサイトーシス (Endocytosis) とう細胞外の物質を取り込む過程は、原核細胞から真核細胞に進化する段階でミトコンドリアなどを共生させる仕組みを応用している。
このように進化の過程において新しい機能は、無から突然作り出されたり獲得されたりするものではなく、過去の機能の組み換えや塗り重ね(=積み上げ方式)によって作られていくということです。
◆正常と異常の間に明確な境はない
これも先祖帰りした人類の例で考えれば、その瞬間においてはサルからみれば異常な種ですが、長い進化の歴史からみれば、適応できた種として現在まで続いているのが現実です。
これも現代的価値観への警鐘かもしれません。現代の社会現象のなかではそれまでとは違った現象をみるとすぐに異常というレッテルをはって排除したり捨象したりしがちですが、そういった変化こそ新しい可能性であるケースも多々あります。
以上7つの視点を提示した上で彼女は下記のようなコメントをしています。

「こうしてならべてみると(7つを並べてみると)、お互いに矛盾することを抱え込んでいることがわかります。しかし、それだからこそダイナミズムが保たれているといえます。矛盾に満ちたダイナミズムこそ生き物を生き物らしくしているのです。現代社会は、全て合理的に進めようとした結果、かえってニッチもサッチもいかなくなっていると思います。生物から学ぶ社会づくりの基本はこの辺にありそうです。」

また最近の新聞で彼女はこうコメントしています

「DNAとつきあって半世紀ですが、知れば知るほど分からないことが増えている。はっきりわかったのは自然は非常に複雑だということ。学問は進化し、研究はおもしろい。だけどそれ以上に自然は複雑だった。何かを解明したらその向こうに新しい問いが待っている。コンピューターが難しいといっても人間がつくった以上人知の中にある。ところが自然は人知をこえている。全てを受け止めて考えざる得ない。」
「でもわからないことがあるのは人間にとってとても大事。もちろんなにもかも分からないのは怖い。対応のしようがないから。でもここまではわかったが次があるという状況は、また知恵を絞る行為に駆り立てる。今の世の中はすぐに答えを求めすぎる。10年たったらすばらしい答えが出せることもあるのに・・」

生物史を学び始めてまだ数ヶ月ですが、様々な認識にふれることで、少しづつ学ぶ意義がわかりはじめています。

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