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「反復説」の現在的意味と「進化積層体」

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脊椎動物各群の発生過程(フォン・ベーアによる)

胎児は、その成長過程で脊索動物段階、魚段階、両生類、爬虫類、哺乳類段階と身体器官の形成と組替えを行っていきます。
http://www.biological-j.net/blog/2007/11/000328.html [1]

この記事内容は、「個体発生は系統発生を繰り返す」という「反復説」を指し示していると思われる。(わたしが生物を習った二十年以上前には、教科書に載っていたような…)
 
このchai-nomさんの記事内容に関するあつしさんのコメントに対してレス [2]したが、今日はこの「反復説」に関する現在的状況について記すとともに、この問題についてもう少し考えたい。
 
ところで、この「反復説」。ナチスの人種差別政策を正当化したとされ、また、反復説を唱えたヘッケルの捏造もあって、生物学の主流からは無視されてきた。ところが、80年代後半からのDNAの解明に伴い、むしろ見直されつつあるようだ。
 
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まずは、最近のブログより関連記事を引用させていただく。

一時はタブーにすらなった反復説も、皮肉なことに、グールドが、反復説に最後のとどめを刺すべく『個体発生と系統発生』を上梓した後の80年代になって、復活する。そのきっかけとなったのが、1983年のホメオボックスの発見である。
発生初期の胚の体制や構造を決定する遺伝子をホメオティック遺伝子というが、線虫から人間にいたるまで、真核生物には、共通したホメオティック遺伝子の配列、ホメオボックスがある。人間には尻尾や鰓はないが、それは尻尾や鰓を作る遺伝子がないのではなくて、その遺伝子がオフになっているだけで、オンにすれば、人間にも尻尾や鰓が発生するという考え方である。何をオンにして何をオフにするかは、進化のプロセスを通じて決定される。比較発生学と遺伝学が統合された結果、反復説は再び脚光を浴びることとなった。
(中略)
進化の中の生物は、ノイラートの船である。生物は、一度死んでしまうと再生できない。つまり、生物という船は、陸地に引き上げて一から作り直すわけにはいかない。航海を続けながら、部分的な修正を積み重ねていくしかない。その結果、生物の遺伝情報は、経路依存的な設計図となる。系統発生が個体発生においてを繰り返されるということは、遺伝子の再生産の歴史が遺伝子の歴史の再生産をもたらしているということである。(永井俊哉ドットコム [6]

詳しい話は論文を読んでいただきたいのですが、かいつまんで説明しますと、200bp以上にわたって一つも塩基がかわってないDNA配列の部分をマウスとヒトゲノムの間で探し、そのような箇所が481もみつかったのです!(この、200bp以上にわたって塩基が一つもかわらない確率、というのは 0.00000001ぐらいです。)
しかも、この見つかった箇所というのが面白いんですね。481の箇所の100ぐらいが、たんぱく質の情報をもっている遺伝子を含んでいて、250の箇所がたんぱく質の情報をもっていない箇所、そして残りは今のところよくわからない箇所に見つかりました。
この”たんぱく質の情報をもっていない箇所”ですが、何の情報もないのか、と、そいうわけではなく、たんぱく質の情報はもってはいないが”情報発現のコントロールを司る情報をもつDNA配列”である可能性があるわけです。
そこで、その可能性をみたら、なんと250の箇所の多くの箇所で、”情報発現のコントロールを司る情報をもつDNA配列”を含む事がわかり、どんな情報発現をコントロールしているかというと、”発生に関わる遺伝子情報”ということがわかったのです!
この、発生に関わる遺伝子情報をもつDNA配列の箇所が、マウスとヒトで100%保存されていたのです。また、更にイヌやチキン、しかも魚(FUGU)でも70%~の類似配列が確認されました。
この論文では、もっともっともっともっと面白い話が論議されていますが、私はこの部分を読んだ時、反復説の事を思い出してしまったわけです。 (優陽 [7]

”発生に関わる遺伝子情報”が、ヒトと魚で70%の類似配列が確認された以上、「個体発生は系統発生を繰り返す」ことは、おおむね事実と考えてよいのではないだろうか。
 
あえて「おおむね」と言ったのは、「個体発生」を主語に置き、その発生過程を「繰り返し」あるいは「反復」と言うのは、生物進化を考える上ではあまり適切でない、むしろ考察の妨げになると思うからだ。

るいネット
でも度々議論されていることだが、生物は種として進化したと考えられる。また、種に働く外圧は、自然圧力および種間圧力である。したがって、生物を考える上で、主語は「個体」ではなく「種」あるいはもっと普遍的に「生物」であるべきだろう。

従って、歴史的に形成されてきた存在は(=進化を重ねてきた存在は)、生物集団であれ人間集団であれ、全て始原実現体の上に次々と新実現体が積み重ねられた、進化積層体(or 塗り重ね構造体)である。つまり万物は、それ以前に実現された無数の実現体によって構成されており、それらを状況に応じたその時々の可能性への収束によって統合している、多面的な外圧適応態である。(実現論第一部:前史より [8]

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