2007-11-10

淘汰適応を種の中にシステム的に組み込むことで生物は進化を遂げてきた

nannokiさんが投稿して下さった「卵子の一生、精子の一生」スゴク興味深いですね。
卵巣内の(卵祖細胞→)卵母細胞は胎生期20周期ごろに700万個作られるのをピークにして、生まれる頃には200万個に減少し、さらに排卵が起こり始める思春期頃には約40万個まで減少します。・・・この残った40万個の卵母細胞から一生を通じ排卵される約400個の卵子をつくり、残りの卵母細胞は死滅していしまいます。
膣内に放出された精子は卵子に辿り着く過酷な旅に出る事になります。膣の内部は細菌やウイルス防止の為強い酸性状態(ph5以下)になっていて、精子にとっても過酷な環境です。膣内に放出された精子は、子宮頚管という子宮に繋がる細い道に入らなければ死滅してしまします。子宮頚管に辿り着いた後、卵管口までの長い距離を泳いでいき卵子を目指します。この卵管口には子宮側に向かって卵を移動させる鞭毛運動があり、(精子から見れば逆流状態)この鞭毛運動に対してサケが遡上するかのごとく卵管膨大部まで上り、卵子と出会う事になります。

生命とは生物史的にも個体の発生史的にも、ものすごい淘汰圧力を潜り抜けて成立している(幾多の屍の上に成立する)奇蹟的できごとなんだなと、改めて認識させられますね。見方を変えれば、卵子も精子も大多数は淘汰される運命にある訳で、カワイソウだとか効率が悪いなあなんて感じも少し思っちゃう訳ですが、それこそ「生命至上主義」や「効率主義」に毒された現代人の価値観に過ぎないのでしょう。「生命は地球より重い」ではなく「生も死も淘汰適応戦略の一部」という見方こそ生物史が教えてくれる事実です。もっといえば淘汰適応を種の中にシステム的に組み込むことで生物は進化を遂げてきたともいえるのではないでしょうか。
そこで淘汰適応の根源性を、るいネットの生物史に関する議論を参考に考えてみたいと思います。

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生物の適応を理解するにはまず、外圧の変化からおさえる必要がありますが、最重要な視点は「生物の進化因ともいえる外圧の次元は、自然外圧→種間圧力へと上昇していった」ということです。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=126693

進化史・生物史の板でもかつて議論され、一定の結論に至った内容のひとつに、生物をとりまく外圧は、大きくは自然圧力から種間圧力に移行してきたという認識があります。具体的には、カンブリア爆発の直後の約5億年前には、脊椎動物を中心に多細胞動物の種類は一桁上のレベルまで急増しています。これだけでも種間圧力の急激な上昇は容易に推測できます。
多細胞動物の登場以後は種間圧力が徐々に生物界の主要な外圧として上昇し、特に哺乳類全盛の新生代(6500万年前~現代)は、哺乳類の種類の増加(=種間圧力による逆境の連鎖)がさらに多様な進化を加速度的に促進してきたことがわかります。このようなスパイラル構造は統計学的分析からも確認されています。

この外圧次元の上昇をどう理解するか、るいネットではこのように考えています。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=32483

カンブリア紀の少し前の8~7億年前は赤道近くまでが氷河に覆われるという超寒冷期だったといいます。気候条件としては生物にとって最悪の(≒自然圧力が極めて大きい)時代です。この気候が温暖化に向かってすぐにエディアカラ動物群の登場、そしてカンブリア紀のバージェス動物群の登場と、6~5億年前の約1億年の間に、現代の動物に繋がる原初形態のほとんどすべてが登場しました。
氷河期という自然圧力に換わって捕食関係という種間圧力が最先端の外圧として機能するのも、ある圧力構造を克服するときは、次の新しい圧力構造を創造しない限り、生物は存続していけないことを意味しているようです。
生物の進化とは、種固有の新しい機能・構造・形態を創りあげることよりも、新しい「場」の圧力を形成することにその基底原理があるのでしょう。多細胞生物の誕生も「カンブリア爆発」も、自然圧力に換わる本格的な種間圧力≒捕食関係を形成した点に着目したいものです。

「種固有の新しい機能・構造・形態の創造以前に、新しい場の圧力を形成こそが生命活動のより基底的な原理」だという考え方で生物史をみていくと「淘汰適応」の根源性・基底性も納得できるものがあります。
生物は自然外圧に対して無自覚なDNAの変異を頼りに外圧への適応を模索した、そうであれば必然的に失敗作はつくられそして淘汰される。それ故に、生殖システムは、淘汰されることをあらかじめ織り込んだシステムが構築されていく。その後、生命原理は自然外圧を乗り越えていくが、それは同時に種間闘争という新しい場の圧力の創出過程でもあった。そして種間闘争の場の圧力下においては、ある時点では成功であり適応的であっても、他の種が変化すれば、おのずと適応できなくなり=時代遅れになり、これまたおのずと淘汰されていく。それは最も繁栄した種とて例外ではなく、ある種の繁栄自体が環境へと影響を与え、それは自身に返ってきて淘汰にさらされることになる(動物が増えれば植生に影響を与えるし、植生が変われば気候に影響が出る、結果として動物の生態にも影響がある)。従って、生物は、淘汰から自由になることはなく、逆にこの「淘汰」を自身のシステムの中にうまく組み込まないと生き残れない。
そのような淘汰適応の根源性に立脚して同類個体間の性闘争という淘汰システムをみずからに組み込んで進化してきたのが、始原哺乳類→サル・人類である。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=33808

始原哺乳類の進化は、自然圧力.外敵圧力のほかに、・・性闘争=縄張り闘争の圧力を、種内に自ら創り出す本能システムにより進化を遂げた。むしろ、適応度という面ではこのシステムのほうが先端にあり、性闘争=縄張り闘争を勝ち抜くことで自ずと自然圧力に適応できるようになっている。
また、サルも同類闘争という、集団間と個体間に『自ら圧力を創り出すシステム』をもつ。この機能が高い(集団間.個体間の闘争性が高い)ほど知能を発達させ、進化してきたのだと思う。チンパンジーなど知能が高い種は、概ね攻撃性が高く凶暴である事からもそう考えられる。これも、同類闘争に勝ち残ることを先端課題にしていれば、自然外圧には自ずと適応していける。

勿論、目に見える生存圧力を克服した人類にとって今必要なのは物理的な淘汰ではない。先端機能である観念によって進化も退化もする私たちに必要なことは「認識が競い合い、淘汰適応されていく」システムであり場の創出である。インターネットを淘汰適応という生命原理に照らし合わせてまっとうな場として洗練させていくことが最優先の課題なのではないだろうか。

List    投稿者 staff | 2007-11-10 | Posted in 未分類 | No Comments » 

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