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知能進化を遂げた原人

次は原人段階です。
原人とは約200万年前~25万年前(一部4万年前まで)に存在したホモ属の初期人類(ホモ・ルドルフェンシス→ホモ・ハビリス→ホモ・エルガステル→ホモ・エレクトス)のことをいいます。
なじみの深いところでは「北京原人」や「ジャワ原人」は代表的な原人「ホモ・エレクトス」の一種ですね。
それでは「猿人」との違いは何なのでしょうか?
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写真は国立科学博物館に展示されている原人(俗名トゥルカナ・ボーイ)の復元模型


まずは原人の人骨が発見された遺跡からその特徴を見てみましょう。
★ドマニシ(約175万年前)
 ドマニシでは、現在までに20個の頭蓋骨などが見つかっている。ドマニシで発見されたホモ・エレクトゥスの大腿骨と頸骨から、原人の背丈は約1メートル18センチと割り出された。骨の太さから、初期人類たちが周囲のコーカサス山脈を頻繁に歩き回っていたことがわかる。
 また、ドマニシでは、様々な石器も発見されており、その石器に多くの傷跡が残っていることから、原人が動物を解体して肉を食べていたという証拠になると言われている。
★ウベイディア(約150~100万年前)
 ウベイディアから発見される石器は、最古のアシューレアンタイプ(アシュール型石器)である。
アシュール型石器とは、ハンドアックス(握斧(あくふ))やクリーヴァー(ナタ状石器)を両面を以前のものより入念に加工していたもので、このハンドアックスは以前の剥片石器に比べれば、ずっと効果的な解体道具だったと考えられる。
★ジャワ(約180~100万年前?)
 ジャワでは、これまで約20体分の頭骨が発見された。また、石器はヨーロッパの前期旧石器文化を特徴付ける「ハンドアックス(握斧)」と呼ばれる代表的石核石器が見あたらず、代わりに雑な作りのチョッパーとかチョッピングトゥールとかいう礫器が多いのが特色。これは彼らの後進性・停滞性を表すのではなく、むしろ、ハンドアックスであくせくと死肉を漁ったり堅いものを割って食べたりする必要もなく、チョッパーやチョッピングトゥールで木の根をほじったり、柔らかい果物を食べたり、小動物を捕まえたりしていたようだ。
 スンダランドはジャワ原人以外のアジアの原人の進化の舞台ともなった。例えば70万年前頃には一部が中国大陸を北上し、「藍田人」として化石を残しているし、60万年前には別種の原人が北京郊外の周口店の洞窟に住み着き、「北京原人」になった。 北京原人は、火を使用していたことも確認できる。
★アタプエリカ(約80万年前)
アタプエルカ山脈の洞窟で、アフリカから初めてヨーロッパへやってきたと思われる人類の骨が発見された。グラン・ドリナと呼ばれる場所からは約80万年前の原人の化石が発見され、ホモ・アンテセソールと名づけられた。このアンテセソール人は現代人とネアンデルタール人との共通の祖先であると考えられている。グラン・ドリナから1キロほど離れたシマ・デ・ロス・ウエソス(骨の深穴)と呼ばれる場所では、約30万年前のものと思われる化石約2500個が発見され、少なくとも33体の原人のものであるとみられる。この時代の原人はハイデルベルグ人と呼ばれ、アンテセソール人からネアンデルタールへの移行期の原人であると考えられている。
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↑原人の復元図と分布地域(「日本人はるかな旅展」HPより)
原人段階になって生活感が出るようになりましたね。
原人の特徴は大きく3つに整理されます。
①脳容量の拡大(600cc→900cc前後)
猿人段階では現在のチンパンジーと同等の400cc程度だった脳容量は、ホモ・ハビリスの段階で約600ccと一気に発達しています。
ブローカー野の発達も確認されていることから、ある程度の言語発達を遂げていたと考えられます。
ホモエレクトスの段階ではさらに脳容量900ccと一気に発達し、前頭葉も著しく発達しています。
発声上重要な喉仏の形状変化、小脳の発達、胸骨の発達も起こっており、多様な言語を使いこなしていたと推測されます。
②本格的な道具の使用
石器の本格的使用はホモ・ハビリスから確認されています。
ホモ・エレクトスの段階ではハンドアックスなどの高度な石器を使用しており、最初に火(自然火)を利用したともいわれています。
③アフリカ・ユーラシア(アジア・ヨーロッパ)に広く分布
ホモ・エレクトスの段階ではグルジアから、ジャワ、中国まで広く化石が確認されており、ユーラシアを完全に横断したことになります。
さて、当時の人類はまともな武器もなく、洞窟の外でまともに活動もできないほど弱い動物でしたが、この時期に大移動をしてヨーロッパやジャワ島、北京と広範囲に広がって生き延びたことが不思議ですよね。
これらのことから見ても、猿人段階で「共認機能」にひたすらに可能性収束して適応してきた人類は、原人段階でされに一層の知能進化=観念原回路に獲得を遂げたといえます。
これら実現させた背景にあったものはなんなのでしょうか?
次回以降、詳細のレポートをお送りします!

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