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始原人類の『食』

足の指が先祖返りしたカタワのサル=始原人類が過酷極まる生存圧力のもとに置かれていたことは、彼らの食生活からも伺えます。
人類の祖先は、何を食べて生き延びてきたのでしょうか?

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初期猿人は、おもに植物の地下茎や根を食べていたと言われています。根を掘るのは大変そうですが、地上でまともな食料を得られないがゆえに、他の動物が食べない植物の根を食料としたのでしょう。
300万年前頃のパラントロプスの歯の表面には無数の小さな傷があり、これは、彼らが砂の付いた地下茎を掘り出してそのまま食べていたことを示すと考えられています。

次に、石器を使用するようになると、人類は肉食の割合が増えます。ただし、肉食といってもいわゆる「死肉あさり」で、他の動物が食べ残した骨を拾ってきて、それをたたき割り、骨髄をすすっていました。

かつては、狩猟をしていたという学説もあったようですが、圧倒的な弱者であった人類が狩猟などできるはずもなく、他の動物に怯えながら、わずかな残骸を拾っては死肉をすすっていたというのが事実でしょう。
(発掘された動物の骨に石器で傷つけた傷跡の他に肉食動物のかじった跡がある事、骨髄をすするのに適した長さに骨が折ってあることから、狩猟ではなく、死肉あさりであったことが証明されています)

現在タンザニアに暮らすハザ族も動物の骨を割って骨髄を食べるのですが、200万年前の人類の遺跡から発掘された割れた骨と、ハザ族が骨髄を食べるために割った骨とは傷の付き方が酷似しているそうです。

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■ハザ族の少年が、動物の骨から骨髄を取り出して食べる様子。骨髄は栄養価が高い脂肪源。始原人類もこのようにして、骨髄をすすっていたと考えられている。
※写真出典:NHK出版「地球大進化 6 ヒト 果てしなき冒険者」
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また、動物の骨だけではなく・・・・・同類=人類を糧にしていたことも分かっています。

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■石器で叩き割られ、骨髄を取り出した痕跡のある人骨(上左)、肉をそぎ落としたときの傷(上右)、脳を食べた跡のある頭蓋骨(下)(クロアチア・クラピナ遺跡、13万年前)
※写真出典:別冊日経サイエンス151「人間性の進化」

なぜ、同類を食料としたのか?

そのヒントとなる投稿を紹介します。

極限時代の死生観 [4] 

再生の観念は現在の狩猟部族にもあります。
ヘヤー・インディアンはカナダ北西部マッケンジー川下流域で狩猟生産を営む部族です。タイガとツンドラの境界に接する地域で植生は極めて貧弱です。採集できるのは7~9月のベリー類程度。ムースやカリブのような大型獣が少なく、ウサギの罠猟に依存しています。このような厳しい生存環境下に置かれた、この部族は20世紀初頭まで、食糧が見つけられず空腹に耐えられなくなると、非常措置として仲間を食糧として生き延びてきたそうです。この地へ来た神父の1904年の記録によれば、人に食べられて死ぬことは「良い死」とされ、再生が保証されていると共認されていた、とのことです。

それ以上の、想像を絶するような過酷な自然圧力・外敵圧力にさらされた極限時代の人類も非常措置として仲間を食糧として生き延びてきたことは間違いないと思います。共認を命綱として生き延びてきた以上、食べられて死ぬ本人たちにも、そのことは共認されていたものと考えられます。人に食べられて(集団の役に立って)死ぬことは「良い死」であり、再生が保証されているという死生観は、極限人類に普遍的なものではないでしょうか。彼らにとって、生きることとは仲間や集団が適応する役に立つことであり、また、死ぬこととは一つの生の終りであると同時に、新たな生の始まりだったのではないかと思います。

また、喰人は野蛮で残虐な行為とされているのが現在の常識ですが、それは極限状況に置かれていない傍観者の立場から言えることです。その状況下に置かれた当事者の立場に立って、仲間を食べざるを得なかった理由を考えることが不可欠だと思います。その事実を認識することで初めて、死ぬのは悪いことだと表層観念に囚われるのではなく、人の生きる意味・死ぬ意味が本当に理解できるのだと思います。

現代人の感覚からは容易に想像できないほどの、過酷な生存圧力、そしてそれゆえの濃密な共認世界があったことに思いを馳せる必要がありますね。

iwai

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