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ヒト=カタワのサル~サルからヒトへは退化であり進化である

こんばんは。先週から「祖先の物語シリーズ」は「サルから人類へ」の秘密に迫るべくこのブログの運営メンバーで分担して、これまで掲示板「るいネット」で議論してきたことをまとめ、発展させてお送りしています。
そして、いろんな方からコメントも頂きました。なかでも
>いつも興味深く読ませていただいております。
直立歩行、謎ですよね。渚原人とか際物学説もありますが。
突然変異ありきで、確かに、おもしろい学説です。しかし、少数の突然変異の個体が生まれた場合、生存の危機になるような形質が受け継がれるような集団が形成可能でしょうか?弱者こそ生き残るという話もありますが。ご教示ください。

とのコメントをnemo さんから頂きました。
渚原人はアクア説のことだと思いますが、アクア説については31日のエントリーでtoya さんが紹介してくれています。
で、あの栗本慎一郎もアクア説を近著「パンツを脱いだサル」で協力にプッシュしています。栗本氏といえば「双極的世界観」や「市場社会以前の経済構造」について、有意義な理論を展開しており、最近は「小泉の同級生」として激しい小泉批判を展開するなど、理論家として、また政治評論家としても今改めて注目の存在かと思います。(やや論理の飛躍があるところには注意が必要ですが・・・。)
そこで、今日は栗本氏の「パンツを脱いだサル」を引用しつつ、人類進化のナゾに迫ってみたいと思います。


>サバンナ説によれば・・我々の祖先は当初アフリカ大陸の森林地帯に暮らしていたが、気候の急激な変化が起こって森林地帯にサバンナ化が進行した。そこで、一部の類人猿のなかからは、木から降りて、サバンナでの暮らしを選び取るものが現れた。狩をする必要に迫られた彼らは、獲物を見つけるために直立し、両手に武器を持って二足歩行することを選び、道具を工夫することで脳が発達し、大きくなった。
>しかしこの説にも、やはりおかしな点がある。足が短く、全速力で走っても大型哺乳類の何分の一の能力もないヒトが、たかだか立ち上がって周りが見渡せるようになったところで、生きるのに決定的に役立つわけではない。・・ラマピテクスの身長は1.2メートル程度で、背骨も曲がっていた。それでは遠くまで見渡すことはできないし、仮に獲物や敵を見つけたとしても、二足なので走るのが遅くて何にもならない。

そうですよねえ。これ、本当にそうだと思いますよ。大の学者がなんでそんなこともわからんのか、学者だからわからんのか・・ほんと不思議でしかたがないですよね。
>確かに、ヒトとチンパンジーの遺伝子は酷似している。しかし違いをよく見てみると、サルに比べてむしろ「退化」したのではないかと思える要素が実に多いことに気がつくであろう。実際、サルから進化したはずのヒトは、サルには身体的に可能なことのほとんどができなくなってしまった。ヒトの下肢は物をまったく掴めないし、何かにぶら下がることも不可能だ.上肢もサルに比べて非常に短く、確かに器用に動かせるようにはなったが、筋力が著しく減衰して、上肢一本で体を支えることはできなくなった。
>サルだって必要なときは二足歩行ができるし、たまには両手で物を掴んだり、簡単な道具を使うこともできる。しかし、何かに追われて逃げるときや早く走りたいときなど、自らの生存にかかわるような場合には、必ず四足を使う。
>なぜ、ヒトは直立姿勢を選び、さらに体毛も捨てて、あえて危険が選んだのか。少なくとも、それを「進化」として選んだといえるのであろうか。ヒトがヒトとなることで失われてしまったもの、退化としか考えられないものはたくさんある。そういうテーマの研究書はすでにたくさんだされているのだが、お偉い学者のほとんどがそれを気に入らないため、公然とは論じられなかった。それはまさしく(サルからヒトへの変化を進化だと考えたいという)土俵の問題であり、その土俵は信奉者の飯の種であるからだ。

栗本氏のいうとおりであろう。人類への進化とは「カタワのサル」への退化とそれによってもたらされた逆境の克服の過程であったのだろう。ただし、栗本氏はここからアクア説を採用する。もしかすると今後、考古学がアクア説を証明する可能性はないとはいえない。しかし、人類とサルを分かつポイントを考える上では、「人類はカタワのサル」で十分ともいる。いずれにせよ、栗本氏が指摘している通り、サバンナ説を覆っている「直線的な進化観」では、答えにならない。進化とは逆境と適応の塗り重ねであるとの見方を持つことで「人類の観念そのもの」もはじめて、真っ当に働き出すのではないか?
Nemoさんの仰る通り、「弱者こそ生き残る」のです。yama3

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