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シッポ(尻尾)のないサル:ホミノイド。

> ホミノイド-耳慣れない言葉だが、ヒトとエイプ(尾のないサル=類人猿)の総称である。広義の“人類”だ。ヒトは見詰め合うことで親愛の情を伝えることができて、赤ん坊は“新生児微笑”と名付けられている微笑を行う。それはホミノイドだけに見られる共通の特徴である。 [1]
(シッポ(尻尾)の化石がなかったんだね。)

進化 – 群馬県立自然史博物館 案内 [2]」より画像リンク
■1、霊長類:ピレシアダピス・第3紀暁新世から始新世・およそ5500万年前。(霊長類の初期。樹上生活への適応。リスみたいな感じかな)
霊長類:ピレシアダピス
■2、類人猿:プロコンスル・1800万年前・第3紀中新世。(最初の真のホミノイド。あ!シッポがない!!バランス悪そ~。)
類人猿:プロコンスル
■3、原人:ホモエレクトス・170万年前・第四紀後新世(木から落ちたサル。シッポだけでなく、足で木を掴めなくも…)
原人:ホモエレクトス
■4、現代人:ホモサピエンス ・およそ10万年前・第四紀更新世後期(逆境から這い上がり、共認機能と観念機能を獲得した人類。)
現代人:ホモサピエンス


●ホミノイドの履歴
ヒトの歴史 [3]
8、 アウストラロピテクス・アファレンシス(アフリカの南ホミノイド)
  280~380万年程前 ヒトと猿人の分岐点的先祖
9、 アウストラロピテクス・アファレンシス(アファ-ルの南ホミノイド)
  400万年前頃     2本脚の動物
10、チンパンジ-など最後の類人猿とホミニドの共通祖先のありそうな?年代
  500万年前頃
11、オレオピテクス(湿地のホミノイド)
  700~900万年前 イタリア地層のみで発見
12、シヴァピテクス(エナメル質の厚いホミニド)
  700~1200万年前 インドとパキスタン地層 オランウータンの分岐点(類似)
13、ドリオピテクス(ヨーロッパの森林のホミノイド)
  900~1200万年前 アフリカの外へ移住、その後の進化なし
14、ヘリオピテクス(太陽のホミノイド)
  1600~1700万年前 アラビア砂漠で発見 食物咀嚼の為の歯表のエナメル質
15、プロコンスル(最初の真のホミノイド)
  1200~2400万年前 東アフリカ 数種類
16、デンドロピテクス(アフリカの森林の原ホミノイド)
  1800~2000万年前 東アフリカケニア サルとホミノイドの分岐?
17、エジプトピテクス(エジプトの原ホミノイド)
  3200~3500万年前 エジプト 現代的な特徴を持つ高等な霊長類の最古の化石
                ヒトをも含む霊長類の祖先
●中新世ホミノイドの盛衰:旧世界ザルとホミノイドの2000万年に渡る同類闘争。軍配は旧世界ザルに?それとも、気候変動による非適応(淘汰)?
霊長類の進化とその系統樹 – 京都大学霊長類研究所 [4]」の系統図
もしくは、それに気候変動も加えた系統図
Biological Journal | 原猿→真猿へ [5]
を見ると、中新世ホミノイドの盛衰が気になった。

霊長類の進化とその系統樹 – 京都大学霊長類研究所 [4]
> 6.旧大陸の霊長類は、ニホンザルやコロブスを含む旧世界ザルと類人猿やヒトを含むホミノイドの2つのグループに分かれて進化しました。この二つのグループが分岐したのは、漸新世後半(約3000?2500万年前)と考えられています。化石記録から見ると最初(中新世前半)はホミノイドの方が繁栄していたのですが、中新世後半から旧世界ザルが勢力を増してその比率は逆転します。現在ではご存じのようにヒト以外のホミノイド(類人猿)はほとんど絶滅寸前ですが、旧世界ザルは大いに繁栄しています。

自然環境の変動とサルの進化史 – るいネット [6]
> 2400万年前 狭鼻猿類が旧世界ザルとホミノイド(テナガザル含む類人猿の祖先)に分化。化石記録からすると、最初はホミノイド(原テナガザル)の方が繁栄したが、その後、中新世後半(1500万年前?)以降、旧世界ザルが勢力を増してその比率は逆転した。テナガザル系は様々な種が登場したが、そのほとんどが絶滅。
> 1500~1000万年前 再び急速な寒冷化・乾燥化(一説によると、500万年の間に6~7℃もの気温低下)。森林の急縮小。この頃、ホミノイド(原テナガザル)から、大型類人猿(人類・チンパンジー・ゴリラ・オランウータンの共通祖先)が分化。

猿類の過密化→同類闘争の激化→進化の促進?
霊長類(猿類)の化石がほとんど見つかっていない漸新世は、気候変動への非適応(もしくは圧倒的に強い捕食者の出現)によるものだと考えられる。しかし、中新世以降は、原猿類・真猿類ともに、“世界的に、霊長類の数は拡大している”のであれば、同類闘争(後進勢力に押されていった状況)が考えられる。ただし、地理的に隔離されている場合は、やはり気候変動への非適応(もしくは圧倒的に強い捕食者=他種の出現=種間闘争)によるものだと考えられる。
その真相は?
そのあたりに関する、詳細報告を見つけた。

中新世における狭鼻猿の共存関係 [7]」(進化人類学分科会)
> 中新世前期の東アフリカは温暖であった。ケニアを中心とする各化石サイトからは同所的に数種類の化石真猿種が発見される(図1、表1)。サイズの異なる複数の狭鼻猿種によってコミュニティーが形成されていたと考えられる。豊かな資源に加え、サイズの変異、食性の違いが、複数種の類人猿の共存を可能にしたのではないか。一方、中新世中期には、小型の類人猿が顕著に減少する。また、オナガザル上科が類人猿と一緒に現れるようになる。類人猿とオナガザルの同所性には地域差があるが、サイトあたりの狭鼻猿種数は明らかに減少する。ナチョラでは霊長類化石のうち、類人猿が大半だが、マボコではビクトリアピテクスが大半である。ただし、類人猿の多様性がアフリカ全体で実際に低下したかどうかは、東アフリカ以外で発掘が進まないと不明な点がある。こうした変化には、乾燥化、季節性の亢進が関係していると考えられる。アフリカでは、オナガザル上科は中新世前期中葉までにはあらわれている。しかし、種数が増え始めるのは鮮新世以降である。中新世前期から中期の東アフリカで、類人猿が実際に衰退したとすれば、最大要因は環境の変化だったと考えるのが妥当ではないだろうか。オナガザルとの競合的関係はあったとしても、二次的要因であり、ことさらに種間競争を主張する必要はないと筆者は考える。

確かに、ホミノイドに限らず、旧世界ザルも衰退したところは、気候変動によるとするのが妥当ですね。しかし、先の系統樹(図)の勢力変動とは一致しないが、どういうことだろう?

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