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BBC製作エイプマン<第5回>「アフリカからの出発」(前編)

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さてさて中断してましたが、今回からはひさびさにまたBBC製作のエイプマンについてまとめてみる。
今回は、「アフリカからの出発」ということで、現生人類の直系の祖先の特徴は何だったのか、どのようにして世界に広がって行ったのかを探っていく。
人類の歴史は、人類の祖先が直立歩行を始めてから数えると700万年とか600万年とかと言われているが、私たち人類に直接繋がる種が登場したのはたった20万年~15万年前だったようだ。それまでの種や亜種は全て絶滅してしまったということ。
それと、この回のポイントのもう一つは、人類の脳や人間らしい特徴発達はヨーロッパで起こった、と欧米の学者どもは考えていたのだが、それはアフリカで既に起こっていた、というところ。
欧米人の学者の一部(でも結構主流)は、勝手に我田引水の説を立てて、それに固執して事実の追及や科学の発展を遅らせることが多々ある。自分たちを含む人種がより優れているってことを証明したくて仕方がないんだよな、まったく…
この番組、他にもそういうバイアスがかってるかも…と思って読んでください。


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エイプマン<第五回> アフリカからの出発(前編)
20万年前には、我々に繋がる直系のホモサピエンスはまだ登場していなかった。
南アフリカのチチカマ海岸。そこのクラシーズ川河口付近には数多くの洞窟がある。
そこの漁師が思いがけず、人類の祖先の化石を見つけた。
上の隆起が無い目の上の骨、そしてあご先が尖った下あごの骨(2者とも現生人類の特徴)。
H・ティーコン教授(ステンレンボッシュ大学 南アフリカ)
>骨は、9万年前の地層から見つかった。それまでの学会の主流説では、その時代アフリカにあるはずの無いものだった。
当時、研究者達は現在のフランスで人類が進化したと考えていたので、この発見はセンセーションを巻き起こした。
(フランスで見つかった4万年前の化石が、現代人に繋がる直系のものとしては最古と思われていた)
さざえの貝殻を分析すると、貝殻が創られた当時、海の水温がどれくらいだったかの痕跡がある。
それによると、それが見つかった地層では当時(12万年前)現在と同じくらい暖かったようだ。
どうやら、間氷期(氷河期と氷河期との間)だったようで、その他の出土物からもその結果が裏付けられた。
人類の祖先の骨が見つかったのは9万年前の地層からだと分かった。
つまり、南アフリカのクラシーズで見つかった人骨は、ヨーロッパで見つかった最古の現生人類の化石より、少なくとも5万年は古かったことが分かった。
世界の異なる地域に暮らす人々から採取したDNAをS.ティシュコフ教授(ペンシルベニア州立大学)が解析した結果も、現生人類はヨーロッパで進化したのではなく起源はアフリカだということを支持した。
変異体の数が、アフリカは199、ヨーロッパ98、アジアは73ということで、もとっとも多様性のあるアフリカが起源と推測される。
さらに、その遺伝子解析は、次のような結論を導いた。
★地球上の全ての人類はおよそ15万年前にアフリカにいた一つの集団を共通の祖先として持っている。
アフリカの初期人類の集団は幾つかの集団に分かれていた。約10万年前にその中の一つの集団が移動をはじめ、アフリカを離れて世界各地へと広がっていったと現在は考えられている(ヨーロッパで人類が進化したという仮説は否定された)。
イギリスの人類学者、クリス・ストリンガー教授(ロンドン自然史博物館)は、ヨーロッパ中の博物館に保管されている骨の化石から、ネアンデルタール人の骨と、人類の骨を細かく調べた。
>ネアンデルタール人と現代人の骨は違いすぎる。直系の祖先ではないのではないのではないか?と疑問を持った
パリの人類博物館にあるモロッコで出土したものは、ネアンデルタール人的特長をまるで持っていない別種の人類の骨と考えられた。
これをもとに、ストリンガー教授が唱えたアフリカ起源説は、当時の学会を大きな議論の渦に巻き込んだ。
>現生人類の身体の特徴がアフリカで発達したというのは、当時の学者には受け入れたれていたが、「脳の発達や人間らしい特徴(観念など)の進化だけははヨーロッパで起こった」という固定観念があった。現代的な思考や行動が進化したのはアフリカなんかのはずがない…。だからこの話は、ヨーロッパの研究者からは猛反発を喰らったのです。
同じく、南アフリカのプロボンス洞窟で発掘・研究をしているクリス・ヘンシルウッド教授(ニューヨーク州立大学)が登場。
>ここは、10万年前からつい最近までこの洞窟で生きていた人類たちの記録が、ずっと化石として残されている貴重な場所です。
この洞窟の数tもの砂をふるいにかけた結果、様々なものが出てきた。
石器はシルクリートという硬い岩でできた尖ったもの。この石の素材は30kmも離れたところにしかない(運んで持ってきて製作した?)。
正確に同じような道具をつくった。キリもあった(皮に穴をあけるのに使った?)。
貝の食べ残しの殻を捨てた場所も見つかった。
J.シーリー教授(ケープタウン大学)
>大量に魚を取っていた跡もあった。群れの仲間と協力して、撒き餌を投げて、鍵竿か槍で採っていたのではないか?
10万年前の炉の跡もあり、同じ場所で繰り返し火をたいていたことがうががい知れた。
クラシーズの洞窟では、オーカーという鉄酸化物の赤色のものも発見された。
これは現在でもアフリカの先住民族が、成人の祝いの儀式で、血を象徴するために使っている。
これは、「象徴化」といわれる行動で、人類以外の種には見られない行動の一つである。
ブロンボス洞窟でも、貯蔵されたオーカーの断片が発見された。おそらく、石でオーカーを削って身体に塗ったり装飾に使っていたのだろう。
オーカーの表面に等間隔で網の目の模様を描いていた。芸術の始まり?または季節を刻んだ?
これらは、ヨーロッパより5万年も前にアフリカに、精巧な石器を作り、火を操り、「象徴化」ができる思考力を持つ人類が存在していた証拠である。
最近になって、アボリジニは6万年前にオーストラリアに到達したことが突き止められた。
なぜ、そんなに早く遠くまで移動したのか?何が彼らを駆り立てたのか?
…つづく
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続き(第五回の後半、人類の移動の話)は、長くなったのでまた明日^^;)
※画像は、直接は関係ないが、イスラエルの虐殺を支援するapeman
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